無題
ここ一年近く、体力も根性も愛嬌も無い私は社会に似えない予感が実感に変わっていくことにずっと魘されている。悪夢に魘されてる方がまだマシだ。
今まで甘やかされてきた、多分。
鏡を見れば緩く育てられましたって顔つきをしてる気がするし、実際異性に甘やかされる顔立ちをしてるし。それでいて捻くれていていて我が儘で内気で口下手だし、そもそも思ってても言わないで自分の中で拗らせる事が多いから共存に向かない。
…まぁ別に良いけどね、ってホラこういう所。
これも本心なんだけど、19、20でこの感じだから流石にちょっと将来を懸念してる。もっと率直で快活な人柄に育ってたら楽勝だったかも知れない。
本当は器用に生きたい
10代のありふれた憂鬱。
煙草
煙草。
去年の冬にキャスターを知ってから、赤マル、ピースのインフィニティ、キャビンレッド、ピースのリトルシガ―、って具合に遷移して今は赤マルとブラックストーンって煙草を吸っている。
私はいつも赤マルみたいなスタンダードな煙草と、ピースみたいに甘い煙草の2種類が手元に無いと駄目。
理由は色々あるんだけど、バイトが終わって帰宅してから真っ先に換気扇の下で肺に取り込むのは赤マル。ベッドの上でスマホを弄りながら、あるいは本を読みながら吹かすのがピース、って具合に使い分けてる。
何で赤マルなんだろう、手に取ったきっかけこそ思い出せないけど結局また赤マルに戻ってる。“煙草”って感じの甘さが好きでやっぱりシンプルで美味しいんだよね。半分くらい肺喫煙するからミディアムにしとく、箱のデザインも可愛いし。
それに対してブラックストーンは甘くて苦い。態とらしいくらい甘い。人工的なチェリーの匂いも慣れてきたら好きになってくる。最初は外箱にニコチンとタール値が載ってなかったから、葉巻だと思って吸ってたけど調べたら煙草だった。煙草自体が全体的に薄い茶色、というか亜麻色で一本一本銘柄が記載されてないから新鮮で。しかもロングだから気兼ねなくページを捲れるし、危ないのは分かってるけど舌から緩やかにニコチンを受容れつつ本を読むのが気持ち良くて辞められそうにない。いや辞めた方が良いか、ベッドの上でなく床で吸います。この煙草は副流煙まで甘やかで独特な香気がするから、フルーツ系のお香を焚いた後みたいに部屋の匂いがガラッと変わる。気付いたら半分くらいブラストについて書いてた、まあ良いや。
マルボロは絶対に換気扇の下で吸う。
残滓
洗面器に栓をして蛇口を捻る。
水を溜めつつ、手紙をライターで燃やして燃え尽きる手前で水面に落とす。蛇口から流れ出る水道水の流れが、灰になったそれを粉砕して水を黒く染めていく。栓を抜いて流すと後悔と独占欲の残滓が洗面器に膠り付く。
綺麗
口で言う事も文章に書く事も、簡単だよね。誰でも出来るし何でも書ける。「飢餓で苦しむ子供たちを救おう」という声、意見はきっと正しい。でもそれが簡単だったら既に実現してる。実現していない理由は綺麗事は実質的な損を招く事が多いから。その損が自分から遠い人だけが綺麗事を主張して損に近い人と対立するから実現しない。要はエゴ。
然もそれが実現するときには大体、本当の意味で言葉通りでは無くなっているし。
こんな事が書きたいんじゃなかった、ここは教室じゃないのに。
言葉だけが美しいよ、本当。
記憶
箱に本を詰めて持ち上げてみると、
存外に重い。いつもそう。
本というのはいつも思ったよりずっと重い。それくらい私たちはあれが紙の束であることをよく忘れるし、紙が元々木材であることも滅多に思い出さない。何気無く着てるコートだって、もうコートの季節で。南半球の羊の毛だってことや、いま腰掛けてるソファが死んだ動物の表皮だってこと、曽祖父母が合わせて8人もいること、部屋の壁が白である必要なんて無いし、読みかけの本を読み終えなくたって誰にも呵責されない。
私たちは色んなことを忘れながら生きている。
忘れ勝ちなことっていうのは大概、夢に似ていると思う。
記憶の表現力は案外、乏しいものなんだと。